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「世田谷区家庭読書の日」にお届けするおはなし 第61回父との思い出 

  • 掲載日2023年3月23日

世田谷区では、「毎月23日は、世田谷区家庭読書の日」として家庭での読書をすすめています。 

 毎月23日に図書館職員が子どもの本のことや図書館での楽しい出来事をお届けしています。

 第61回 父との思い出

 子どもの頃の読書、家庭での読書として思い出すのは、親から聞いた昔話であり、親に読んでもらった本であるが、私の幼少期(1960年代前半)に読んでもらった本でまず思い出すのは「ヤンボウ・ニンボウ・トンボウ」である。
 これは1955年頃、NHKで放送された子ども向けラジオドラマの書籍化で、タイトルにある「ヤンボウ・ニンボウ・トンボウ」はインド生まれの白ザルの兄弟の名まえだ。珍しい白ザルとして中国の王様に献上された白ザルの兄弟が、故郷インドにいる母ザルに再会するため中国からインドに大冒険の末にたどりつくまでの物語で、当時の子どもたちをラジオに釘づけにしたらしい。
 ラジオ放送は私が生まれる前なので聴いていないが、この物語が書籍化され、その第一分冊を近所の少年が持っていた。後に彼が私にこれをくれたので、この本はわが家にやって来た。

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『ヤンボウ ニンボウ トンボウ 1(いいざわただす・おはなしの本4)』
飯沢匡作 土方重巳え (理論社)

 小学校入学前の私にはルビつきとはいえ漢字混じりの本は難しく、父親に読んでもらった。とはいえ、短い絵本ならともかく、百頁を超える本を毎日のように子どもにせがまれて、父親もネをあげてしまった。この父親は新しい物好きで、当時珍しかったオープンリールのテープレコーダーを早速買って来て家族の声を録音させたりして楽しんでいたが、一計を案じて『ヤンボウ・ニンボウ・トンボウ』の朗読を録音して私に聞かせた。おかげで父は連日の「苦行」から解放され、私は父親不在の時も物語を楽しめるようになった。
 今思うと朗読テープのはしりであり、残っていれば…というところだが、オープンリールのテープは再生も困難となり、引っ越しの時に処分してしまった。本は今でも私の手もとにある。宝文館1955年刊。酸性紙は劣化して茶色くなり、破れが各ページにある。けれども飯沢匡の文、土方重巳の絵はすばらしい。土方の描くサルやキツネ、クマなど擬人化されたキャラクターは秀逸で、絵本『てぶくろ―ウクライナ民話―(世界傑作絵本シリーズ ロシアの絵本)』の動物を描いたE・ラチョフと比べても遜色はない。
 この本は後に理論社から全三巻で出され、さらに同社から全十巻で再刊された。今、世田谷区立図書館ではこちらを読む事ができる。私は第一巻しか知らなくて、白ザル兄弟がクマから逃げる場面で終わっていたが、大人になってようやく図書館でラストまで読む事ができた。

 ところで、父親は時々昔話も語ってくれたが、昔の大人が語るものといえば、たいがい「桃太郎」か「カチカチ山」で、このうち、父の「カチカチ山」で、今思い出しても不思議な事がある。カチカチ山の物語は有名だが、父のカチカチ山ではまず、おばあさんはタヌキにだまされてなぐられるのだが、死なない。それは良いとして気になるのは、たきぎを背負っての帰り道、ウサギが火打ち石を打つとカチカチと音がしてタヌキは不審に思うが、「ここはカチカチ山なのさ」と言われて納得する。次にたきぎに火がつくと、木がパチパチとはぜるのを聞き「パチパチいうのは何?」とタヌキがきくと、ウサギは「ここはパチパチ山なのさ」と言う。そして火がボウボウと燃え始めると「ここはボウボウ山なのさ」と言ってタヌキをだましたので、タヌキは大やけどをおってしまう…という話の筋。

 不思議に思ったのは、大人になってからカチカチ山の本を読むと、この「パチパチ山」のくだりが出て来ない。他のいくつかの本もあたってみたが、今に至るまで「パチパチ山」の本に出会った事がない。それにしても「カチカチ山→パチパチ山→ボウボウ山」の方が、昔話の王道である三回くり返しになっているし、タヌキが徐々に追い詰められてゆくようすが伝わって面白い。父がこんなに面白いアドリブを考えたとは思えないので、どこかに「パチパチ山」があるのではないかと今も探している。
 父は、大日本帝国下の朝鮮で生まれた。ルーツは愛知県三河、浜名湖の近くらしい。これらの地域のどこかに「パチパチ山」の話が伝わっているのだろうか?ご存じの方が居たら、どうか教えてほしいと思う。

「世田谷区家庭読書の日」にお届けするおはなし第1回~第60回はこちら

※今回をもちまして 「世田谷区家庭読書の日」にお届けするおはなし は終了いたします。いままでお読みくださりありがとうございました。