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 第3回 「本で旅をしよう!」〜図書館員がオススメする本〜

作成日:2020年8月12日

 第3回は、旅は旅でも時代をさかのぼり、明治〜大正〜昭和の旅をご紹介します。

〜山頭火の酒と俳句を訪ねる旅〜

 種田山頭火は、明治15年12月に現在の山口県防府市に生まれた。早稲田大学に進学するが、病気で中退し故郷に戻った。昔からの大地主であったが父の放蕩で家が傾いてしまった。山頭火10歳の時、最愛なる母が井戸に飛び込み自殺してしまう。この心に傷を残す出来事が山頭火の旅への逃避と、母への慰霊と追慕のはじまりだった。
 造り酒屋も倒産させて、田畑と家屋敷も人手に渡り、熊本に逃げた。山頭火は、「我楽多」という古本屋を開くが、商売は妻に任せきりの酒浸りの毎日。とうとう泥酔して熊本市電の前に仁王立ちし、通行を止める大騒ぎを起こしてしまう。まさに自暴自棄である。知り合いの新聞記者に助けられて禅寺に運ばれた。さすがに骨身にしみた山頭火は、和尚の教えにより出家得度を決断する。しかし1年と数か月で寺を出て、さびしさに耐えかねて再び行乞の旅へ九州各地・山陽山陰・四国地方など転々とした。山頭火にとって「人生は旅であり、旅そのものが人生」であった。昭和14年10月、57歳の山頭火は、人生最後の旅として四国遍路を選び船で松山へと渡った。まさに死に場所を探す旅であっただろう。58歳松山の「一草庵」にて心臓麻痺で死亡。
 荻原井泉水に師事して、自由律俳句誌「層雲」に出句を続けていた。山頭火の俳句は、五七五の定型の調べに捉われない自由な一行詩のような魅力ある俳句である。

いつまでも旅することの爪をきる
けふもいちにち風をあるいてきた
わがままきままな旅の雨にはぬれてゆく
からだぽりぽり搔いて旅人
分け入っても分け入っても青い山

 歳時記と旅行ガイドを携えて旅に出よう。山頭火の詠んだ秀句と味わい深いお酒巡りの旅はいかがでしょうか。私の一番好きな句は、「うしろすがたのしぐれてゆくか」山頭火 (H・Y)
【お薦めの本】
『種田山頭火』 村上護 著 (ミネルヴァ書房)
『山頭火と歩く名水』 今津良一 文/大橋弘 写真( 小学館)
『山頭火と四国遍路』 横山良一 写真・文 (平凡社)
『草萌ゆる−山頭火一草庵時代の句』 (創風社出版)

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〜著名な作家の渡欧〜

 森鴎外がドイツ留学に旅立ったのは1884(明治17)年(注1)で、夏目漱石がロンドン留学をしたのは1900(明治33)年(注2)のことでした。いずれも官費による留学です。個人が海外、ましてや欧州に向うのは難しい時代でした。しかし、1896(明治29)年3月15日に日本郵船によってアントワープへ向かう欧州航路が開設され、同年には北米シアトル航路も開設されます。さらに、シベリア鉄道が東清鉄道と連結し極東と欧州が鉄路で結ばれたのは1904(明治37)年で、それ以降は日本から欧州に向かう最短ルートとなりました。このように1900年前後にかけて個人が欧州に旅立てる環境が徐々に整えられてきたのです。例えば、『不如帰』などを記し、その名を「芦花公園」に留める徳冨蘆花は1906(明治39)年7月に聖地エルサレムとトルストイ宅を訪問しています。往路は日本郵船の欧州航路でポートサイド(スエズ)まで行き、帰路はシベリア鉄道・東清鉄道に乗車しての旅でした。(注3)。
注1 森鴎外の横浜からマルセイユに至る航海については「航西日記」に記している。
『明治文學全集 27』(森鴎外集 森鴎外著 唐木順三編)筑摩書房などに収録
注2 夏目漱石のロンドン滞在については「倫敦塔」で触れられている。(『漾虚集』収録)
『漾虚集』夏目漱石著(大倉書店)1906(明治39)年
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/889302(国会図書館デジタルコレクション、以下同じ)
注3 徳冨蘆花のこの旅行については『順礼紀行』に記されている。
   『順禮紀行』徳富蘆花著(警醒社)1906(明治39)年
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/889096

 

『新編ふらんす物語』永井荷風著(博文館)1915(大正4)年
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/969030
1907(明治40)年に横浜正金銀行リヨン支店に赴任となり、フランスの地を踏んだ永井荷風は翌1908(明治41)年に銀行を辞し、同年3月28日から5月28日までの2ヵ月間をパリのカルチェ・ラタンで過ごします。1909(明治42)年に博文館よりパリを舞台にした小説集『ふらんす物語』を刊行しますが、直ちに発禁処分となってしまいます。
国立国会図書館ウェブサイトでは1915(大正4)年に刊行された新編がデジタル化され閲覧できます。

 

『巴里より』与謝野寛著/与謝野晶子著(金尾文淵堂)1914(大正3)年
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/951380
 1911(明治44)年、与謝野寛(鉄幹)は日本郵船の熱田丸で渡欧します。追って、妻の与謝野晶子は翌1912(明治45)年にシベリア鉄道経由で渡欧します。「予等は日夜欧羅巴に憧れて居る。殊に巴里が忘れられない。」と冒頭に書いた、夢のパリを中心としたヨーロッパの滞在記です。徳永柳洲が描いたパリの風景の挿絵と、多くの写真が当時の雰囲気をより深く伝えてくれます。

 

 1914(大正3)年6月28日にサラエボ事件が発生し、同年7月27日、オーストリア=ハンガリーはセルビアに宣戦布告し、第一次世界大戦が勃発します。正にこの時期に島崎藤村はフランスに滞在していました。
『平和の巴里』島崎藤村著(左久良書房)1915(大正4)年
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/936135
『戦争と巴里』島崎藤村著(新潮社)1915(大正4)年
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/954224
『仏蘭西だより』島崎藤村著(新潮社)1922(大正11)年
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971933
島崎藤村は1913(大正2)年5月23日にパリに到着し、1916(大正5)年4月までフランスに滞在しました。滞在中、彼は東京朝日新聞社との契約によりフランスからの通信として断続的に新聞紙上に発表しています(1913(大正2)年8月27日〜1914(大正3)年8月30日まで断続掲載)。1914(大正3)年8月1日にはフランス・ドイツの国境が閉じられ、パリ市民が買いだめや疎開に向う様子を描いています。戦火がパリに迫ってくると、彼はフランス中部のリモージュに疎開します。パリが平和だったころをまとめたものが『平和の巴里』であり、戦争中の様子が『戦争と巴里』『仏蘭西だより』に書かれています。

 

 4年の歳月を経て、第一次大戦は1918(大正7)年11月11日に終結します。それを待っていたかの如く、1919(大正8)年から翌年にかけて世界一周を行った人物に徳冨蘆花夫婦がいます。
『日本から日本へ 東の巻』徳冨健次郎著、徳冨愛著(金尾文淵堂)1921(大正10)年
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/964285
『日本から日本へ 西の巻』徳冨健次郎著、徳冨愛著(金尾文淵堂)1921(大正10)年
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/964286

 

 第一次大戦終了後、1920(大正9)年に入ると日本は反動恐慌と言われる不況に転じました。その後、1923(大正12)年の関東大震災、金融恐慌、世界恐慌などを経て13年間もの不況に見舞われることになります。海運業もこの不況からは無縁ではなく、日本郵船は1930(昭和5)年には株主への配当金が出せないほどに業績が悪化しました。
一方、人々の海外渡航は以前と比べて盛んになったようです。欧米への旅行ガイドが多数出版(注1)されるとともに、文化人の渡欧も多くなってきました。『文藝年鑑 昭和4年版』(注2)には「文壇人の海外往来」という記事が掲載され「文壇人の海外渡航は近来一種の流行までなったかの観がある。」と書かれています。従来は留学として2〜3年滞在していたものが、単なる視察や漫遊を目的とし、しかもその数が急増している。その要因として「円本」の印銭収入が影響しているのではと解説がされています。
注1 ガイドブックの例として『欧米大学生活』馬郡健次郎著、春陽堂、1930(昭和5)年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1278834)がある。これにはシベリア経由欧州行きの列車時刻表が掲載されており、道中の要所にはツーリストビューローの係員が滞在している旨が記載されており、多くの日本人が渡欧していたことが伺える。
注2 『文藝年鑑 昭和4年版』文藝家協会編(新潮社)のp7−9に文壇人の海外往来の記事があり https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1077732

 

 『踊る地平線』谷譲次著(中央公論社)1929(昭和4)年
※青空文庫で全文閲覧可能
「がたん!という一つの運命的な衝動を私たちの神経につたえて、午後九時十五分東京駅発下関行急行は、欧亜連絡の国際列車だけに、ちょいと気取った威厳と荘重のうちにその車輪の廻転を開始した。」で始まる『踊る地平線』は、3つのペンネームを使い分けた長谷川海太郎が谷譲次の筆名でロンドン・パリからフィンランドまで全欧州を1年以上に渡り旅した記録です。
『文藝年鑑 昭和4年』の記事では谷譲次が「[昭和]三年三月三十一日、午後九時十五分東京発、中央公論特派員として渡欧の途についた。出発の前日(三月三十日)丸ビル精養軒にてその送別会が催された。『新世界順禮』第一信は中央公論八月号に発表されてゐる。」との記事があります。『新世界順禮』は1928(昭和3)年8月から翌年7月までの12回にわたり雑誌『中央公論』に連載され、単行本としては『踊る地平線』として1929(昭和4)年に出版されました。リズミカルで踊るような文体は、彼の旅に対する驚きと喜びを伝えてくれるようです。1929年4月20日にインペリアル・エアウエイズ(現在のブリティッシュエアウエイズ)でロンドン・パリ間を空路で移動した記録は貴重です。
 図書館では岩波文庫版(1999年出版)上岩波文庫版(1999年出版)下を読むことができます。

 

『ねむれ巴里』金子光晴著(中央公論社)1973(昭和48)年
『マレー蘭印紀行』金子光晴著(山雅房)1940(昭和15)年
 谷譲次と同時期に渡欧していた作家に金子光晴がいます。『ねむれ巴里』は『どくろ杯』『西ひがし』とともに、通称「金子光晴放浪三部作」として、1928(昭和3)年から1932(昭和7)年にかけての渡欧を描いています。妻森三千代との関係を打破すべくパリ行きを計画し、妻のみ先にヨーロッパに送り出すだけの金を工面することができましたが、次に自分自身の旅費の工面に苦しみます。マレー半島で金策に奔走し、彼は1929(昭和4)年暮れにようやくパリ行きを叶えます。しかし「男娼以外のことは何でもやった」という極貧状態での生活、ゆすりまがいのこともしながら日銭を稼ぎ、生き残るためにもがき苦しむ人の中で、彼らはパリで異邦人として取り残されそうになります。同時代の欧州を描きながらも、『踊る地平線』が陽なら、こちらは陰の部分を曝け出しています。『マレー蘭印紀行』では、金子光晴のマレー半島、スマトラ島での様子を描いています。図書館では、文庫本や全集等で読むことができます。

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『私の紀行』林芙美子著(新潮社)1939(昭和14)年
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1685912
1930(昭和5)年に『放浪記』がベストセラーとなり,林芙美子は念願の中国行きを果たします。1931(昭和6)年11月には一人で満州、シベリア鉄道を経由してパリへと旅立ちました。同年9月18日に柳条湖事件が発生するなど、戦争の足音が聞こえる中での出発です。1932(昭和7)年6月15日に神戸に到着するまで、おおよそ半年余りをパリ、ロンドンで過ごした記録です。お小遣い帳的なものも随所に載っているので、当時の物価を知るのも興味深いものがあります。
図書館では『下駄で歩いた巴里−林芙美子紀行集−』立松和平編(岩波書店)でも読むことができます。

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『欧米の旅 上巻』野上弥生子著(岩波書店)1943(昭和18)年
『欧米の旅 下巻』野上弥生子著(岩波書店)1943(昭和18)年
1938(昭和13)年から夫の野上豊一郎に同行した野上弥生子の世界一周の旅の記録です。旅先での記録だけでなく、途中寄港地での滞在記も読みごたえがあります。戦争の動乱で引き揚げてくる途中立ち寄ったアメリカの様子は貴重です。図書館でも読むことができます。『欧米の旅』

 

『欧洲紀行』横光利一著(創元社)1937(昭和12)年
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1215661
 1936(昭和11)年に横光利一はベルリン・オリンピック観戦のため日本を出発しました。2月22日に門司を出航し、船上で二・二六事件が伝わるという時代です。欧州ではドイツとの戦争が迫り、フランス国内では人民戦線と右翼勢力との対立が激化している中での旅でした。世界が動く瞬間に立ち会った記録と言えるでしょう。図書館では「講談社文芸文庫」版で読むことができます。

 

『日本脱出記』大杉栄著(アルス)1923(大正12)年
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/972056
 今まで紹介したものは、パスポート、ビザを取得した上での、正式なルートを通っての渡欧でしたが、最後に秘密裏に渡航した本を紹介します。1922(大正11)年11月に大杉栄のもとにベルリン国際無政府主義大会の招待状が届きました。有島武郎が旅費を出し、秘密裏に同年12月に彼は日本を脱出します。上海、マルセイユ、パリをめぐる密航と強制送還の記録です。この本は1923(大正12)年9月に出版を計画していましたが、関東大震災のため10月に伸びてしまったとのことです。そのため、結果として大杉栄の遺作となりました。図書館では『大杉栄・伊藤野枝選集 第11巻』(黒色戦線社)等で読むことが来ます。(Y・O)

 

参考図書
『異都憧憬 日本人のパリ』今橋映子著(平凡社)
『女三人のシベリア鉄道』森まゆみ著(集英社)
『日本郵船歴史博物館 常設展示解説書』日本郵船歴史博物館編(日本郵船)
『近代日本の旅行案内書図録』荒山正彦著(創元社)

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〜昭和初期の旅「細雪」から〜

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 日本を代表する作家の代表的な作品の一つであり、何度も映画化やテレビドラマ化されています。大阪の旧家の美人四姉妹、長女鶴子、次女幸子、三女雪子、四女妙子の絢爛豪華であり、かつ平凡な日常が、美しい日本語で描かれています。物語の中で、四姉妹は様々な場所に出かけています。京都の桜の花見は、毎年の恒例行事。2、3日かけて、京都のいろいろな場所で桜を満喫します。
 舞台は昭和初期で、現在その面影はほとんど残っていないのですが、京都や大阪や神戸などに旅行に行ったとき、ふと頭の中に、「細雪」のシーンが浮かんだりするのは、やはり名作といわれる理由なのかもしれません。あまりに有名な作品なので、読んでいる方も多いと思いますが、今一度「細雪」を読んで、四姉妹の足跡を感じてみるのはいかがでしょうか? (N・I)

 『細雪』 谷崎潤一郎著(新潮文庫)ほか